アンチ報酬系戦略は次の2つの視点で役に立ちます。
1つは、現在主流の戦略である、利益追求型戦略のカウンターであること。
もう1つは、勇気を合理的に支える、精神論から解放されたモチベーションとしてです。
利益追求型の戦略には、その意思決定の特性にいくつかの弱点があります。
まず、投資が増えないような決定ができないこと。この戦略では1億円が10億円になることが重要です。
そのため、測定して・可視化して・予測することが必要になること。フォロワーN人のインスタグラマー、ある属性M人が関係する社会問題、そういう反響を事前に計算した上で、商品やサービスをデザインします。ここでは「数字にしにくいが素晴らしいもの、優れたアイデア」は役に立ちません。増えないかもしれないからです。
これは、局所最適化であり、広域の最適解に到達することができないことだとも言えます。最適化の対象としている尺度(例えば利益)が減ることを許容できない場合、広域の最適解に到達することはできません。強化学習や最適化のシミュレーションをやったことがわかる人にはすぐピンとくると思いますが、一瞬で「かなりしょぼい解」から動けなくなります。(なお、この状況を打破する最もシンプルな方策は、結果が悪化しようが、一定の割合でランダムなシナリオを採択することです。)
こうなると、先を見渡せるシナリオしか選択できなくなります。これはつまり、Moreマインドの関係者を納得させるために、測定と予測が可能な、リスクの低い選択をするということを意味しています。そして、おおむね誰でも理解できるようなメカニズムを持った問題に取り組むことが優先されます。
その結果、誰もが明らかに先を見通せる戦略、つまり平均的なシナリオに依存します。みんなが同じ戦略を採用するゲームで勝てるのは、リソース(武器や人数)で圧倒的に勝る、消耗戦に強いプレイヤーだけです。
つまり、個々が独自の勝利を捨て、特に一部の業界で顕著な「一者総取り」を皆で支持するシナリオが、現在の利益追求型の戦略の隠れた特性なのだと言い換えることもできます。
この構造の中で戦う限り、趨勢を覆すことは難しいでしょう。リスクを取らないことは、私たちが想像している以上に、論理的に敗北へとつながりやすく、同時に、現在の勝者の優位を支えて続けているのではないでしょうか。
(あともう一つ付け加えると、株式が上場するようなケースでは、これらに加えて、増やすことと多数決がタッグを組むので、この構図がさらに強固なものになります。イノベーションが難しい、構造的な理由です。)
この隠れた「多くのプレイヤーにとっては圧倒的に不利な」特性をうまく拒否しながら、破滅を防ぎながらリソースを投資し、すぐに利益に転嫁できない価値を探すことで、私たちにとってのチャンスが生まれます。
それはおおむね論理的に導かれる答えです。現在のルールが勝者をさらに勝たせる一人勝ちのルールであり、本能直結のゲームである以上、理性的になり真剣にカウンターを追求しなければ状況を打開できません。
利益追求型の戦略は、短期的に利益を得る手段としてはもちろん優秀です。ただしこれは、大きな目標を達成するには向きません。利益に忠実だと局所最適解から出られないので、ちょっとした環境の変化に適応できないこともあり得ます。
自分にもし大きな目標がある場合、利益の文脈に巻き込まれて本能のゲームに参加すれば、目標は実現しません。目的に対して手段を間違えています。
本能は私たちにとって、避け難い強い引力のようなものです。私たちは本能的には「増えることが正しい、うれしい」と感じるので、増えない戦略を理解できません。間違ったことのように感じるのです。本能に任せてMoreマインドで大きな目標に向かう長期的な戦略を評価すると、高揚感がなかったり、強烈な不安を感じたりします。(そして3ヶ月目で挑戦をやめます。)
長期戦略を立案し実行する上では、本能を自覚しコントロールする、また、Moreで直感的に理解できない戦略にチャンスを見出す、高い認知能力が必要なのです。
これは戦略の方法論ではなく戦略を作る上でどうしたいかという「意思」であり、極めて重要な要素です。
以下はありふれた例で申し訳ありませんが。
20年ほど前、当時としては考えられないほど大きな画面のついた音楽プレイヤーにさらに電話機能をつけて、その大きな物体を携帯電話だと主張した人がいたわけですが、ほとんどの人にとって(とりわけ私のような日本のガラケーユーザにとっては)価値がよくわからないものでした。ごくごく一部の人だけが、それがもたらすライフスタイルの価値をイメージしていました。
本屋にもかかわらず物流に投資し続けた事業者は、短期の利益を無視した投資スタイルに、多くの投資家からブーイングを受けていました。その人は今、事業が成功した、収益を上げた、という言葉で表現できる次元にはいないように見えます。
彼らの場合、当然ある程度の市場の予測があったのだろうとは思いますが、それはおそらく大きく外れたはずです。1億円が10億円になるからやったわけではなく、そこに極めて大きい価値があり、むしろ値段がつけられないからやった(金額の議論に意味はないが、関係者の本能をなだめて納得させる必要があるので、とりあえずもっともらしい金額を提出した)のではないかと、私は想像します。よく言われる、「お金は後からついてくる」という話の私なりの解釈です。
これらの例からは、長期戦略は信仰や精神論ではなく、既存のMore構造のシナリオを採択せず、本能のゲームの中で戦わなかった結末のひとつだと解釈できます。
同時にこれが、私たちが「今のところ利益の出ない、しかし素晴らしい価値のあるプロジェクト」に取り組む合理的な理由です。
他者からの精神的な勇気づけは素晴らしいものです。が、それが精神的である必要はなく、同時に私たちには、論理も味方していることを理解すべきではないでしょうか。
私たちは今までより「合理的に」勇気を採択できます。私たちの勇気にはある程度の根拠があるからです。自分の中で論理的な筋道の通る価値があるなら、利益の文脈で理解できないという理由では、その価値を否定できません。それは本能的に理解できないというだけで、無謀とはまた異なるからです。